かぐや姫 /「けれど生きている」~ 散りばめられた哲学的なフレーズの数々 ― 山田パンダさんの詞に触れて
今日は、わたしの思い出の曲として、「かぐや姫」の「けれど生きている」について話します。
「かぐや姫」については、以前、「妹」という曲のときに簡単に紹介しましたが、南こうせつさん、山田パンダさん、伊勢正三さんの3人組フォークグループです。
かぐや姫さあど
「けれど生きている」は、かぐや姫のサードアルバム「かぐや姫さあど」(1973年7月発売)に入っている曲です。
この曲の作詞は山田パンダさん(クレジットは山田つぐとさん・・・この記事では、「けれど生きている」の作詞者の名前は山田パンダさんということで話を進めます)、作曲と歌は南こうせつさん、編曲は木田高介さんです。
(※ 木田さんは、1980年5月18日、交通事故により、31才で亡くなられました。後述する「神田川」も木田さんの編曲です)
「かぐや姫さあど」には、シングルレコードとして先行発売された「僕の胸でおやすみ」(作詞・作曲 山田つぐとさん、歌:南こうせつさん)や、後にシングルレコード化されて大ヒットした「神田川」(作詞:喜多条忠さん、作曲・歌 南こうせつさん)も入っています。(※ 喜多条忠さんは、現在は喜多條忠と表記されています)
バラエティーに富んだ曲で構成されている「かぐや姫さあど」は、わたしのお気に入りのアルバムの一つです。
重く感じた詞
さて、今回紹介する「けれど生きている」ですが、この曲を聞き始めたときは、曲のテンポ、コーラスやハーモニーを含めた歌声、ドラムスやストリングスが加わり、しだいに盛り上がっていくアレンジが印象に残りました。
しかし、繰り返し聞いているうちに、詞の重さがだんだんと気になり始めました。
「かぐや姫さあど」で山田パンダさんは、アルバムに入っている全11曲中4曲の作詞を担当(うち2曲は作曲も担当)しているのですが、この曲でのパンダさんの詞は、他の曲とは違った感じがしました。
詞の中で使われている言葉、例えば、「人生に始まりと 終りがあるなら 見とどけてみたい」という詞は、わたし自身、その詞の意味をはっきりととらえることができませんでしたが、すごく重く感じました。
表現がふさわしいかどうかわかりませんが、「哲学」のようなものを感じました。
当時の自分は
学生時代、アルバイトが終わった明け方、わたしは、歩いて家に帰る途中、この曲をよく口ずさみました。
「夜が終わって 朝に僕を かえしてくれる」というこの曲の出だしが、明け方まで仕事をしていた自分の状況と重なっていたという単純な理由からだと思います。
当時のわたしは、ふと、奇妙な孤独感に苛まれることがありました。
友だちと楽しく過ごした後でも、家に帰ると孤独な自分を感じました。
孤独だと思うと、どんどん深みにはまっていき、どうしようもない自分に嫌気がさすことがありました。
無理をして、自分を大きく見せていることが不誠実に思え、本当の自分って、どんな人間なんだろう? - そんな出口の見えない哲学的な問いかけをする日もありました。
わたしの不思議体験
この曲をギターを弾きながら歌っていたある日のこと。
「ちっぽけな 何もない けれど 生きている」という3番の歌詞を歌った後でした。
「自分は今、すごい曲を歌っている」 ー わたしは、この曲に、急に感動し、歌うのをやめました。
その日、何か特別なことがあったわけではありません。
本当に感動し、いっときの間、ぼーっとしていました。
その後、思い直したように、再びギターを弾きながら、「けれど生きている」を繰り返し歌いました。
エンディングが終わると、すぐにイントロを口ずさみ、1番を歌い始めました。
何度も繰り返し歌うことで、逆に気持ちが落ち着きを取り戻すという不思議な体験も味わいました。
「けれど生きている」の中に散りばめられた、心の奥底から絞り出されたような哲学的なフレーズの数々。
これらのフレーズを歌声として、実際に心の外へ出すこと。
当時のわたしにとって、そうすることが、自分をなぐさめ、励まし、気持ちを落ち着かせるのに最適なことだったのでしょう。
歌うことで、人の温もりに触れたような感覚になる。
その日の不思議な体験は、その後の「自分と歌とのかかわり」に大きな影響を与えた体験だったと思います。
人差し指を加えると
「けれど生きている」は、こうせつさんの迫力ある歌が終わった後の、エンディングの部分もとてもすてきなので、そのこともお話しします。
この曲は、ギターのコード(和音)でいうと、 Em(イーマイナー)のコードで一度エンディングをむかえた後、最後はE(イー)のコードで終わります。
中指と薬指でEm(イーマイナー)のコードをおさえたまま、第3弦の1フレットに人差し指を加える(ソの音を半音上げる)と、E(イー)のコードになります。
E(イー)のコードの「安心していいよ」と言われているような明るい響き、その余韻は、自分の気持ちをリセットしてくれているようで、この曲のエンディングは当時から大好きでした。
そっと人差し指を加えただけで、「もう1回がんばってみるかあ」という響きに変わる ー 「けれど生きている」という曲の魅力はこんなところにも隠されています。
※ かぐや姫の「ひとりきり」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。
※ かぐや姫の「おはようお休み日曜日」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。
※ かぐや姫の「置手紙」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。
※ かぐや姫のメンバーだった伊勢正三さんが結成した「風」に関する記事については、こちらをどうぞ。
追記:2021年9月12日、フォークデュオ「風」のメンバー、大久保一久さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈りいたします。(2021年9月17日追記)