かぐや姫 /「妹」ー 声も楽器にしてしまう人 ~ 南こうせつさんの歌とハーモニー

今日は、わたしの思い出の曲の中から、フォーク・グループ「かぐや姫」「妹」について話します。

かぐや姫(第1期)とこうせつさん

本当に「最後の世界」に

「かぐや姫」は、1970年に南こうせつさんを中心に結成された3人組のフォーク・グループです。

こうせつさんは、1970年(かぐや姫結成前)にソロデビューをしたのですが、レコードがまったく売れませんでした。

レコードが「最後の世界」というタイトルだったのは何とも皮肉な話です。

テレビで歌唱力を披露

しかし、こうせつさんは、めげません。

さっそく、同じ大分県出身の2人とフォーク・グループ「南高節こうせつとかぐや姫」を結成します。

途中から「南こうせつとかぐや姫」と改名しながら、レコードを出し続けましたが、約1年間の活動の後、このグループは解散します。

活動期間中、テレビの勝ち抜き歌番組「全日本歌謡選手権」に出演し、抜群の歌唱力を披露ひろうしたこともありました。

これらが、こうせつさんの第1期「かぐや姫」(1970年結成)での活動です。

名前の由来

なお、「かぐや姫」という名前の由来は、「こうせつさんの出身地、大分県の竹中たけなか村の竹中から連想し、竹取物語のかぐや姫を思いついた」、「いつも竹やぶの中で練習していたので、それで思いついた」、「グループ名から、男3人組のグループだとは思われず、登場するたびにそのギャップが観衆にウケた」など、諸説ありますが、わたしにはわかりません。

いずれにしても、こうせつさんは、当時流行していた横文字のグループ名にする気はなく、和風なネーミング(その方が目立つ)として「かぐや姫」をグループ名にしたようです。

新生「かぐや姫」の結成

再び九州出身者で

こうせつさんは、「かぐや姫」解散後の1971年、伊勢いせ正三しょうぞうさん(正やん)、山田パンダさん(パンダさん)と、新生「南こうせつとかぐや姫」を結成します。

今後、「かぐや姫」という時には、この3人のグループと思ってください。

佐賀県生まれ福岡県育ちのパンダさん、こうせつさんと同じ大分舞鶴まいづる高校出身の正やん。

新生「かぐや姫」も、やはり九州出身者で編成されたグループとなりました。

楽しいライブが評判に

「かぐや姫」は、シングルレコードやLPレコードを発売しながら、順調に活動を続けます。

「とにかくライブが楽しいバンド」というのが当時の「かぐや姫」の評判です。

フォークのライブといえば、黙々もくもくと歌を聞かせ、曲の合間あいまにポツリポツリと話をするのが定番ていばんだった時期です。

そんな中で、こうせつさんのMCはとても楽しいものでした。

しかし、MC後に披露ひろうされる「楽曲や歌唱力、そしてハーモニー」は、思わず聴衆を引き込んでしまうような質の高いものでした。

MCでさんざん笑わせた後、歌で満足させるライブは、「かぐや姫」ファンを着実に増やしていきました。

「神田川」の大ヒットから解散まで

ラジオ番組から流された1曲

ライブ活動を中心に、レコードの売り上げも伸ばし、「知る人ぞ知る存在」になっていた「かぐや姫」に転機てんきが訪れます。

ラジオの深夜番組のパーソナリティを務めていたこうせつさんが、アルバムの中の1曲だった「神田川かんだがわ」を番組内で流しました。

「神田川」は、1度聞いただけで、ラジオのリスナーの心にるような曲だったようですね。

リスナーからは、「曲名の問い合わせ」があり、それがやがて曲のリクエストにつながり、とうとう番組のリクエストランキング1位を獲得するまでになります。

歌と映画のコラボ、でも・・・

「神田川」は、アレンジをシングルバージョンに変え、シングルレコードとして発売されます。

そして、ヒットランキングで1位になり、「かぐや姫」はテレビの歌番組へも数々出演しました。

やがて「神田川」は映画化されます。
(ただし、映画の内容は、歌詞を表現したものではありません)

その後、歌と映画がコラボする形で、神田川コンビ「作詞:喜多条きたじょうまこと、作曲:南こうせつ」により、「赤ちょうちん」、「妹」が1974年に「かぐや姫」のシングルレコードとして発売されます。

人それぞれ、好き嫌いはあると思いますが、わたしは、どちらもすてきな曲だと思っています。

でも、これらは、こうせつさんたちの力の及ばない「大人の事情」でのシングルレコード発売だったようですね。

「妹」は、結果的に「かぐや姫」最後のシングルレコードとなりました。

1975年4月12日、東京神田共立講堂でのコンサートを最後に「かぐや姫」は解散しました。

わたしの「ひとりかぐや姫?」の「妹」

文化祭の準備中に

わたしは学生時代、「かぐや姫」のコピーをしている同級生のバンドが文化祭に出演するということで、会場になる教室に行ったことがあります。

そして、図々ずうずうしくも、朝、忙しそうに準備をしている彼らに頼み込み、リハーサルの一環いっかんとして「妹」を歌わせてもらいました。

「マイクなどの器具は調整済みなので動かさない !」という厳しい約束(出演当日の朝なので当然だ)を守るということで、発声練習が終わったボーカルの代わりに歌わせてもらいました。

彼らは、ライブ盤の「妹」を見事にコピーしていました。

コーラスも間奏も、本物そっくりで、歌っていて、こんなに気持ちがよかったのは初めてでした。

彼らに感謝です。

ギターを弾くようになって

学生時代同室だった友だちの影響もあり、わたしは、ギターを練習しました。

左手で、コード=和音を押さえられるになったわたしは、次は、ストロークだけしかできなかった右手の練習をしました。

「妹」は、ギターのストローク(コードを一気に全部弾く)や、アルペジオ(コードをバラバラに弾く)の恰好かっこうの教材でした。

「妹」の1番はアルペジオのフォー・フィンガーで「タン、タン、タン、タン」と弾きました。

2番はスリー・フィンガーで「タン・タカ・タカ・タン」、3番はストローク、そして、4番は全部混ぜて弾きました。

コーラスも間奏も重ね録り

ライブ盤の「妹」を録音したカセットテープを何度も聞き、正やんとパンダさんのコーラスも練習しました。

また、譜面ふめんが読めないので完全にはできませんでしたが、正やんのパートのギター(間奏など)も練習しました。

ラジカセが2台あると、1台目(ラジカセA)に、ギターの伴奏だけ(ストロークやアルペジオ)を録音します。

そして、ラジカセAからさっき録音した伴奏を流しながら、正やんのギターのパートを弾いて、もう1台のラジカセ(ラジカセB)に録音します。

すると、ラジカセBに正やんのパートをかさりしたギター伴奏が録音できます。

何度も繰り返していると、最初の方のギター伴奏の音が小さくなるのが難点ですが、ボーカルまで4回の重ね録りをして、何とか「ひとりかぐや姫?」による「妹」を完成させました。

他人には、聞かせられるものではありませんでしたが、今でも大切なわたしの「妹」の思い出です。

楽器と同じ絶妙なコーラス

「かぐや姫」がメンバー3人だけで、「なごり雪」を演奏しているのを聞いたことがあります。(なまではありません)

ボーカルは、「なごり雪」の作者の正やんです。

サビの部分の「今、春が来て・・・」という部分で、レコードでは2番から弦楽器が入ります。

その弦楽器と同じフレーズを、こうせつさんがコーラスで入れていたのには驚きました。

できるだけ、レコードに近い形でお客さんに聞いてもらおうということでしょうか。

それができるこうせつさんのすばらしさ、こうせつさんの声って、ときには弦楽器にもなるのですね。

ちなみに、「置手紙おきてがみ」(正やんの作詞作曲)もライブ盤の曲ですが、コーラスが正やんのボーカルをより引き立てていると思います。

こうやって、3人でお互いをカバーし合いながら、「かぐや姫」は活動してきたんだなと思いました。

誕生日おめでとうございます

1949年2月13日生まれのこうせつさん。

ということはこうせつさん、2019年の2月、70才になられるのですね。

デビュー50周年だそうですが、このかん、かぐや姫の節目節目での再結成、正やんとのユニット「ひめかぜ」での活動、あこがれのカントリー・ミュージック・シンガーだった故ジョン・デンバーとの共演・共作、アメリカ公演での感動的な「神田川」の演奏など、数えきれないくらいの思い出がわたしにはあります。

今年は、あの「変幻自在へんげんじざいな声」を生で聞きたいと思っています。

実現するといいなと思います。

 

 

※ かぐや姫のメンバーだった伊勢正三さんが結成した「風」に関する記事については、こちらをどうぞ。

 

 

※ かぐや姫の「ひとりきり」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。

 

※ かぐや姫の「けれど生きている」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。

 

※ かぐや姫の「おはようおやすみ日曜日」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。

 

 かぐや姫の「置手紙」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。

 

※ ジョン・デンバーの「緑の風のアニー」に関する記事は、下記リンクをどうぞ。

 

追記:2021年9月12日、フォークデュオ「風」のメンバー、大久保一久さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈りいたします。(2021年9月17日追記)