紙ふうせん /「冬が来る前に」~「歌の力とすばらしさを伝える」― 紙ふうせんの歩みは続きます

今日は、わたしの思い出の曲として、フォークデュオ「紙ふうせん」「冬が来る前に」について話します。

同級生の二人

「紙ふうせん」は、後藤ごとう悦治郎えつじろうさんと平山ひらやま泰代やすよさんによるフォークデュオです。

後藤さんは1946年4月29日生まれ、平山さんは1947年3月28日生まれ。

2人は兵庫県立尼崎あまがさき北高校の同期で、3年生のときは同級生だったそうです。

 

高校で「ESS(英会話クラブや英語研究会のこと)」の部長をしていた後藤さんは、1960年代に活躍していたアメリカのフォークグループ、ピーター・ポール&マリーの音楽を聞き、その魅力に引き込まれてしまいます。

大学進学後は、ピーター・ポール&マリーのコピーバンドであるフォークバンドを結成し、大学2年生のときには、大きな会場でアマチュアコンサートを開くほどになりました。

 

一方、平山さんは、小学生の頃にラジオ放送局専属の合唱団のオーディションに合格し、小学校卒業後もOBとして活動を続けながら、中学・高校と合唱部に所属、その後、大学の音楽学部声楽学科へ進学します。(後藤さんとは違う大学です)

そこへ、後藤さんからコンサートへの招待状が届くのですが、後藤さんのフォークバンドの歌とハーモニーを聞いた平山さんはすごく感動したそうです。

フォークデュオから「赤い鳥」へ

1967年、大学3年生のとき、2人はフォークデュオを結成、日本の伝承歌でんしょうかを歌い始めます。

また、尼崎市で月1回の「赤い屋根の家コンサート」を始めます。

1969年まで続いたこのコンサートには、さまざまなバンドが出演し、やがて、後藤さんと平山さんの2人に3人のメンバーを加えたフォークグループ「赤い鳥」の結成へとつながります。

 

「赤い鳥」は、1969年に開催された第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し、全国大会のフォーク部門で1位になり、全体でのグランプリも獲得、1970年にはプロとしてデビューします。

竹田たけだ子守唄こもりうた(日本民謡、1971年)や、つばさをください」(作詞:山上やまがみ路夫みちおさん、作曲:村井むらい邦彦くにひこさん、1971年、レコードでは「竹田の子守唄」のB面)など今でも歌い継がれている名曲を残し、1974年、「赤い鳥」は解散しました。

「紙ふうせん」の結成

「赤い鳥」解散後、後藤さんと平山さんは、デュオグループ「紙ふうせん」を結成し、活動を始めます。

グループ名の「紙ふうせん」は、後藤さんがつけた名前です。

後藤さんは、「すぐにこわれやすい紙風船、あなたの温かい息をそっと吹き込んでくれたら、ぼくらはどこまででも飛んでいきます」という意味でこのグループ名をつけたそうです。

 

プライベートでは、1974年5月に結婚した2人。

「紙ふうせん」は、東京を拠点に活動していましたが、平山さんの出産を機に、関西でのコンサート活動が中心になりました。

そして、1977年11月に発売したシングルレコード「冬が来る前に」が大ヒットします。

冬が来る前に・・・

この曲の詞が、後藤さんが「冬が来る前に・・・」と口ずさみながら石油ストーブのしんの掃除(交換?)をしていたときに生まれたというのは有名な話で、この曲の作詞は後藤さんです。

この曲の作曲は、赤い鳥時代からバックでベースを弾いていたベーシストの浦野うらのただしさんです。

 

「冬が来る前に」は、レコード発売前からコンサートで歌われていて(詞やアレンジが少し違う)、評判もよかったそうです。

そこで、レコーディングということになるのですが、「赤い屋根の家コンサート」の仲間だった梅垣うめがき達志たつしさんがアレンジを担当し、フォークソングというよりも、当時流行していたニューミュージックの最先端のような曲になり、大ヒットへとつながります。

わたしが感じたこと

この曲の歌詞で使われている言葉は、音符にぴったりとはまっているように感じます。

シンプルですが、選ばれた言葉は「季節の色合い」を持ち、それが歌物語の登場人物の心情を想像することへとつながります。

メロディーは、サビの部分が圧巻あっかんだと思います。

2人の抜群の歌唱力とハーモニーのコンビネーションが引き立ちます。

オーケストラのアレンジもすごい迫力です。

「イントロからエンディングまで、決して妥協だきょうすることなく、紙ふうせんの2人をしっかりとサポートしていく、大胆でち密なアレンジ」、わたしはこのアレンジについてそう感じています。

40年という時をても、今でも新鮮な気持ちで聞くことができるこの曲がわたしは大好きです。

阪神淡路大震災を体験して

1995年1月17日、兵庫県在住の2人は阪神淡路大震災はんしんあわじだいしんさいを体験します。

その後、被災地を訪問し、歌を届けるボランティア活動を行います。

そのとき、赤い鳥時代から歌ってきた「翼をください」の意味が変わっていくことを経験します。

 

地震による建造物の崩壊ほうかいや火災などによって、多くの方が亡くなった大震災。

「翼をください」を被災者の方々と一緒に歌っていて、2人はあることに気づいたそうです。

それは、「この歌は、阪神淡路大震災で亡くなった方への鎮魂歌ちんこんかであり、生かされたものは命の限りせいいっぱい生きようというメッセージなのだ」ということだそうです。

 

この話を聞き、「夢や希望を歌う歌」という、わたしが今までいだいてきた「翼をください」という歌に対するイメージに、「人を想う歌」という新しいイメージが加わったように思います。

「紙ふうせん」への願い

「紙ふうせん」は、2019年10月27日に「紙ふうせん 45周年記念リサイタル〜 なつかしい未来 vol.14 〜」を兵庫で開催しました。(2006年から続いているコンサートだそうです)

また、12月1日には「紙ふうせん 45周年 赤い鳥から50周年 記念リサイタル」を東京で開催しました。

 

「赤い鳥がグランプリをとってから50年、紙ふうせん旅立ちコンサートから45年、日本だけでなく世界各地でレコーディングをし、コンサートを開いてきた長い歴史の中で、紙ふうせんがとっても大事にしてきた曲をたくさんみなさんにお届けしたいと思います」と、東京公演に向けた事前のビデオメッセージで語っていた2人。

「これからも、歌の持っている力とすばらしさを伝え続けてほしい」ーわたしはそう願っています。