カーペンターズ /「トップ・オブ・ザ・ワールド」~ 楽しかったみんなの「アイ ケーンパァ」・・・あれから50年、カレンも笑顔で許してくれるかな?

今日は、わたしの思い出の曲の中から、カーペンターズ(Carpenters)の「トップ・オブ・ザ・ワールド」(Top of the Worldについて話します。

バート・バカラックさんのニュース

2023年2月、ニュースで、バート・バカラック(Burt Bacharach)さんが亡くなったことが報じられました。

そのとき、「雨にぬれても」(Raindrops Keep Fallin' On My Head) など、バカラックさんの有名な作品が、ニュース映像で紹介されました。

また、バカラックさんは、1970年にカーペンターズがカバーして全米ヒットチャート第1位になった曲、はるかなるかげ」(Close to You)の作者としても紹介されました。

兄妹ポップグループ

カーペンターズは、兄 リチャード・カーペンター(Richard Carpenter)と妹 カレン・カーペンター(Karen Anne Carpenter)のアメリカの兄妹ポップグループです。

リチャードは、1946年10月15日生まれで、現在76才。

ボーカリストである妹カレンの才能を最大限に引き出したコンポーザー(作曲家)で、アレンジャー(編曲家)です。

楽器の担当はピアノです。

一方、妹のカレンは、1950年3月2日生まれ。

美しい歌声とたぐいまれな歌唱力を生かし、1970年代のポップス界を魅了みりょうしました。

しかし、今から40年前の1983年2月4日に32才の若さで病気で亡くなっています。

「トップ・オブ・ザ・ワールド」

さて、今回は、わたしと同級生とカーペンターズを結び付けた曲「トップ・オブ・ザ・ワールド」の思い出について話します。

「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、1972年から73年にかけて、ラジオから毎日のように流れていた曲です。

普段ふだん聞いている日本の音楽よりも少しアップテンポで、はじけるように明るくポップなこの曲は、聞いているだけで楽しくなり、もう1回、もう1回と繰り返し聞きたくなる曲でした。

カレンの歌真似をしてハッピーに

また、わたしたち同級生は、よくカレンの歌真似うたまねもしました。

いつもは、当時流行していた日本のアイドル歌手の歌を歌っていた同級生の間でも、この「トップ・オブ・ザ・ワールド」はよく歌われていた記憶が残っています。

みんなで歌真似をしていると、歌っているうちに自然と気持ちがハッピーになる、そんな感じでした。

わたしたち独自の歌詞で

ただし、いかんせん、「トップ・オブ・ザ・ワールド」は英語の曲です。

そして、カレンの歌声はていねいですが、切れ目なく続いていきます。

誰かが学校に持ってきた雑誌の付録ふろくの「歌本うたほん」には、「トップ・オブ・ザ・ワールド」の英語の歌詞の上にカタカナで発音が書いてありました。

しかし、それを読みながら歌っていたのでは、カレンのボーカルには追いつきません。

そこで、わたしたちは、「本当は、こんな詞を歌っているんだ」くらいの軽い気持ちで、英語の歌詞は歌詞として、横に置いておく?ことにしました。

そして、「こう聞こえる」という「わたしたち独自の歌詞」で、みんなで楽しく歌いました。

カレンと一緒に歌っているような気持ちに

例えば、「トップ・オブ・ザ・ワールド」の曲の歌い出しの部分は、「サッチィ フィールス カメローザネェーム」と歌いました。

そう聞こえるし、そう歌っていると、カレンと一緒に歌っているような楽しい気持ちになりました。

 

サビの部分にある、「アイ キャン ファインド」(I can find)は、「アイ ケーンパァ」と歌いました。

それでも、誰も何も言わなかったのは、曲は楽しい曲だし、みんなで歌うことそのものがすごく楽しかったからでしょう。

今思うと、「英語の曲を歌っている」という少し背伸びをしたような思春期独特の気持ちもあったのかもしれませんね。

「カーペンターズワールド」へと変身して

カーペンターズは、その後も「シング」(SING)、そして、1973年夏から秋にかけて大ヒットした「イエスタディ・ワンス・モア」(Yesterday Once More)などの曲を発表します。

 

また、「ジャンバラヤ」(Jambalaya)や、「プリーズ・ミスター・ポストマン」(Please Mr. Postman)などの曲をリバイバルヒットさせます。

これらのリバイバル曲は、カーペンターズの絶妙ぜつみょうなコーラスワークと、アップテンポのアレンジで、たちまち「カーペンターズワールド」に変身しました。

そして、まるで、カーペンターズのオリジナル曲のように聞こえるのでした。

本当に不思議だなと思いました。

とても残念な知らせが・・・

リリースする曲が常にヒットチャートの上位(しかもほとんどが第1位)にランクインしていた当時のカーペンターズ。

そのうち、わたしたち同級生の間でも、カーペンターズの曲は、一緒に歌うというよりも、その曲を味わうという感じに変わっていきました。

 

それから数年後の1983年、悲しい知らせが、わたしたちのもとに飛び込んできます。

カレンが病気で亡くなったというニュースです。

32才の若さでした。

わたしは、そのあまりの若さに驚くとともに、大きな「可能性」を失ったことが残念でなりませんでした。

「カーペンターズワールド」が再び日本へ

1990年代に入り、日本で、カーペンターズのリバイバルブームが起こりました。

わたし自身は見たことがありませんでしたが、日本のテレビドラマの主題歌、挿入歌そうにゅうかでカーペンターズの曲が使用され、それをきっかけに「カーペンターズワールド」が再び日本へ上陸したということでした。

 

元気よく、ポップで明るく、少しいたずらっぽく歌うカレンの歌声。

しっとりと情感をこめて、ていねいに歌い上げるカレンの歌声。

そんなカレンの歌声を前面に押し出したカーペンターズの曲の数々。

 

カレンがすでに亡くなっていることが残念でたまりませんでしたが、日本独自のアルバムも発売され、そのアルバムは、たちまちミリオンセラーになりました。

カレンの「find」が大好きです

わたしも、CD「青春のかがやき ~ ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ」(2009年版、日本)を買いました。

兄リチャードが、「カレンが一番好きな曲」だと言っていた「青春の輝き」(I Need to Be in Love)など、「カーペンターズワールド」満載まんさいのアルバムです。

 

1曲目に収録しゅうろくされている「青春の輝き」には、サビの最後の部分で「アイル ファインド」(I'll find)という歌詞が出てきます。

この曲の中にも、歌詞に「ファインド」(find)が出てくるところに、「トップ・オブ・ザ・ワールド」の「アイ キャン ファインド」(I can find)との不思議なつながりを感じます。

 

「トップ・オブ・ザ・ワールド」の「アイ キャン ファインド」(I can find)では、楽しさを爆発させているようなカレン。

「青春の輝き」の「アイル ファインド」(I'll find)では、達観たっかんしたような、きれいだけど少しせつなそうなカレン。

わたしには、カレンが歌う「ファインド」(find)がそう聞こえます。

日本語の歌詞を知ってからは、より一層その気持ちが強くなりました。

 

同じ「ファインド」(find)でも、それぞれの曲のテーマによって、そして、それぞれの曲が流行した時代によって、歌っているカレンの気持ちも違っていたことでしょう。

わたしは、カレンが歌う「find」のひびきが大好きです。

カレンも許してくれることでしょう

さて、アメリカから遠く離れた日本の、そのまたはしっこの地方に住んでいる学生たちが、「find」の歌詞を、笑顔で元気よく「パァ」という歌詞で歌っていたこと。

そのことを天国にいるカレンが知ったら・・・?

 

歌が大好きなカレンのことです。

きっと笑顔で許してくれることでしょう。

CD「青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ」のジャケット

 

※ カーペンターズが1976年にリリースした「青春の輝き」の共同の作者であるアルバート・ハモンドに関する記事は、こちらをどうぞ。

 

※ 動画サイトで、アメリカのファミリーバンド「ピーターセンズ」(The Petersens)が、「トップ・オブ・ザ・ワールド」をカバーしている映像を見ました。

ゆったりとしたアレンジで、カーペンターズとは一味ひとあじちがった「トップ・オブ・ザ・ワールド」を聞き、すごく気に入りました。

日本で「トップ・オブ・ザ・ワールド」が流行してから50年、カレンが亡くなるという悲しいできごとから40年。

でも、こうやって、歌はそっと引き継がれていっていることを知り、「歌ってすてきだな」としみじみと思いました。