「母の日」となつぞら(朝ドラ)~ 人を「感じる」ことから
「母の日」とプロ野球選手
2019年は、5月12日が「母の日」でした。
ニュースのスポーツコーナーでは、プロ野球の試合後のインタビューで、選手が「母親へ伝えたい言葉」を述べたり、観戦に来ていた母親へウイニングボールを渡したりするなど、その日活躍した各チームの選手と母親とのかかわりが紹介されていました。
当日活躍した選手の中には、すでに母親が亡くなられた方や、事情があって母親と離れて暮らしてこられた選手もいたことでしょう。
でも、テレビ局のすること。
この日の報道は、選手一人ひとりの家族の状況について事前に取材し、その状況に合わせた報道だったのだろうと思います。
「なつぞら」での母親の言葉
さて、NHK朝ドラ「なつぞら」では、母の日をはさみ、先週から今週にかけて「母親の言葉」が印象に残りました。
戦争によって親を失った子ども(主人公)が、兄妹と離れ、亡き父の戦友の実家(北海道の牧場)で生活し始めるところからスタートしたこのドラマ。
主人公「奥原なつ」(広瀬すずさん)を娘同様に育て、主人公から母さんと呼ばれている「柴田富士子」(松嶋菜々子さん)は、自分のしたことを後悔している父親の「柴田泰樹」(草刈正雄さん、主人公からじいちゃんと呼ばれている)に言いました。
「何があっても受け入れる、それが家族っしょ」。
また、「ここにはもう申し訳なくて居られない」と家を出て行こうとする「奥原なつ」に向かってこう言いました。
「1人で苦しみたいなら、家族は要らないっしょ」。
「家族への思い」はそれぞれで
どのようないきさつで、このようなやりとりが行われたか、ここではその内容には触れませんが、どちらの言葉も「家族」に向けて発せられた言葉でした。
この言葉を聞き、このドラマが表現している「家族への思い」が、じわじわと伝わって来るのを感じました。
それは、決して押しつけではなく、「みなさんも、この物語に出てくる家族に一言どうぞ」と言われているような気がして、このドラマに心地よさも感じました。
また、視聴者の中には、主人公や主人公を取り巻く家族と同じような人生を歩んで来られた方々がいらっしゃると思いますが、「どのような気持ちでこのシーンをご覧になっていたのだろう」と思いを巡らせました。
弁解しようとしたわたし
ある先生に、「お父さんも先生だったんですか」と尋ねたことがあります。
その先生は、「俺は、親父は、おらんとよ(いないんだよ)」と明るい調子で返事をしました。
わたしは、「あいちゃあ、すいませーん」と謝り、すぐに弁解しようとしました。
そんなわたしを気遣ってか、その先生は、「よか、よか」と言いながら豪快に笑いました。
そして、父親が戦死した後、祖父母と母親と弟の5人家族で育ったという自分の生い立ちを話してくれました。
家族に対する認識と感覚
この一件はわたしに、家族を話題にするときに忘れてはならないことを教えてくれたように思います。
それは、家族を話題にするときは、家族にはさまざまな形があって当たり前という前提で話すことです。
そして、そういった認識を持ちながら、話し相手の気持ちを感じることです。
そのような認識や感覚が、相手のどのような答えにも、人間味のある自然な対応を生み出すのだと思います。
「ああ、そうなんですね」と、先生の答えを自然に受け止めることができず、すぐに弁解を始めた自分。
そんな自分に対して、その先生は、家族に対する認識や感覚の大切さを教えてくださったのかもしれません。
明るく、愉快なことが大好きだったその先生らしい、豪快な笑いという方法で。
人をまず感じて
外見や言動、行動からは、決して理解することができないものが人にはあります。
ましてや家族のことになると、その人にしかわからない家族の歴史、家族への思いが、その人の心の中にあります。
「そう。そういう気持ちで人と接し、人のことをまず感じるところからっしょ・・・。結論は後・・・」。
ドラマの中から飛び出してきた「柴田富士子」さんが、わたしにそう言っているように思えた数日間でした。