「わたしは、もう、いやじゃあ」~「思い」を伝える、受け止める
「あんたがよぉ」
かかりつけの病院へ行ったとき、わたしが初めて赴任した学校の先生にお会いした。
その先生はベテランの先生で、困ったことがあるといつでも相談に乗ってくださり、大変お世話になった先生だった。
わたしが、当時のお礼を言い、その後言葉を続けようとすると、先生の方から「月に1回、血圧の薬をもらいに来ている」と来院している理由を話された。
窓口で支払いを済ませたわたしは、先生にお辞儀をし、「先に帰ります。お元気で」と声をかけ、先生と別れた。
その後、病院で2度先生とお会いし、わたしが自分の子どもたちのこと(年齢など)を話すと、「わたしも年を取るはずじゃあ」と驚いていらっしゃった。
そして、「立派になったねえ」と言われた。
わたしが「ありがとうございます」と返事をすると、先生は、「あんたがよぉ」と言われた。(「立派になったのは、あなただよ」という意味)
後日、わたしの家族が町の中で先生とばったり会ったとき、わたしのことをこう話されたそうだ。
「頭の下げ方が全然違う。苦労したんじゃろうなあと思って・・・。立派になったねえ」。
先生にとってわたしは、たくさんいた同年代の若手の中でも心配の種だったのだろう。
「思い」が伝わるといい
初任校での飲み会で、ある先生が急に「戦時中の歌」を歌い始めた。
わたしたち若手数人は、意味もわからず、歌に合わせて手拍子をした。
歌い終わった先生が、戦争の話を始めた。
そのとき、さきほど病院で会ったことを紹介したベテランの先生が、戦争の話の途中で、ポツリとつぶやくように言った。
「わたしは、もう、戦争は、いやじゃあ」。
宮崎弁のイントネーションで、「じゃあ」の部分は、長く伸ばし、語尾を上げるように言った。
戦争を体験してきた人が発する、本当に実感のこもった言い方だった。
戦争のことを話し始めた先生も、まわりのみんなも黙った。
その場にいたみんなが、先生の言葉を受け止める想像力を持っていたのだろうと思う。
今からもう、40年近く前の話である。
県内でも、退職した先生方が、戦争体験を子どもたちに伝える活動をされている。
戦争を加害と被害の両面からとらえ、「命」の尊さ、「平和」の大切さを伝えようと活動されている。
子どもたち、そして、子どもたちとかかわっていらっしゃる現職の先生方、保護者のみなさんに、退職した先生方の「思い」が伝わるといいなと思う。