左はどっち? ~ 生きていたい!と強く思ったお話(ボクとボクらの話)

「ああちゃん」と呼ばれて

娘が近所の公園から帰って来るなり、リビングで横になっていたわたしの上に飛び乗った。

相変わらず元気がいい。

「ああ、びっくりした。何かいいことでもあったの?」

そんなわたしの問いかけに、娘は返事もせず、急にこう言った。

「ああちゃん、左はどっち?」

ああちゃんとは、かあちゃん、つまりわたしのことである。

わたしの実家で覚えた言葉で、わたしは、「ママ」でもなく、「おかあさん」でもなく、家では「ああちゃん」と呼ばれるようになった。

柔らかい娘のほっぺ

「左ねえ。難しいなあ。えーっと、こっち」

と娘の左腕を指さした。

「違う、違う、ああちゃんの左だよ」

と娘は不満を口にした。

 

わたしは、「それならこっち」と、わたしの左手を娘のほっぺに当てた。

娘のほっぺは、プニュプニュという表現がぴったり当てはまる、いつもの柔らかいほっぺだった。

「わかった」

という言葉と同時に、娘は、わたしの左腕をたぐり寄せ、わたしの左胸に耳をあてた。

音がするよ、聞こえるよ

「ほんとうだ。聞こえる」

娘は驚きをかくせない様子だった。

耳をわたしの胸の真ん中に当てたり、右側に当てたりした。

娘の言葉で、娘の行動の意味がわかった。

わたしの心臓の音を聞いているのだ。

「音がするよ。ゴックン、ゴックンって聞こえる。ドックンじゃない」

検診? いつまで続く?

「ちゃんと、動いてる?ときどき止まってない?」

というわたしの問いかけに、娘は胸に耳を当てたまま「うん」とうなずいた。

後でわかったことだが、人間の心臓は左側にあり、ドックンドックンと音がしていることが公園で話題になったらしかった。

 

さて、わたしの心臓検診は、数分ってもまだ続いている。

娘の耳はわたしの胸から動かない。

いつか動かなくなる日が・・・

わたしは、ふと、

「この心臓もいつか動かなくなる日が来るんだよなあ」

と思った。

 

この鼓動が終わりを迎えるとき、

わたしはどこにいるんだろう。

それはいつなんだろう。

娘は何をしているんだろう。

いろいろなことが頭に浮かんだ。

「生きていたい」― わたしの思い

わたしは、いたたまれない気持ちになった。

 

「生きていたい!」

 

そんな思いがわたしの体中をめぐり、思わずソファーの近くにあった大きなクッションをつかんだ。

そして、そのクッションで娘の体を包み、甘えん坊の娘の体を両腕で思い切り抱きしめた。

 

 

※この物語は、フィクションです。