林田先生の特別授業 ~ 算数の文章題は説明文(ボクとボクらの話)

県内でも有数の実践家の先生が退職。

その先生がいた学校に赴任したわたし。

退職後の先生と過ごした日々は、わたしの大きな宝物です。

授業がしたいと言い出した先生

久しぶりの授業

ある日突然、林田はやしだ先生がわたしに向かって、「授業がしたい」と言い出した。

ふだんからお世話になっている林田先生の頼みである。

断るわけにはいかない。

さっそくわたしは、現在自分が担任をしている3年4組の子どもたちと保護者から希望者をつのり、校区内の公民館に集まってもらうことにした。

「林田先生の授業を久しぶりに見たい」という保護者のあと押しもあり、学級のほとんどの子どもたちが特別授業に参加することになった。

授業日は土曜日の放課後だった。
(※注/この話は学校週5日制になる前の話)

保護者が持ち寄った簡単な昼食を済ませた子どもたちは、公民館の一室に座り、林田先生の登場を待った。

国語が専門の林田先生にしては珍しく、今回は算数の授業がしたいということだった。

林田先生は、今日集まった子どもたちのうち何人かを、1年生のときに学級担任として受け持っている。

その年を最後に林田先生は定年退職したので、今回の特別授業は久しぶりの子どもたち相手の授業であった。
(大人相手の模擬授業は、退職後も何度か見た)

授業が始まった

林田先生は、いきなり「特別授業なので、算数の問題をたった1問だけ勉強します」と宣言した。

子どもたちはその問題数の少なさに大喜び。

林田先生は、その歓声の合間あいまって、問題用紙をホワイトボードに丸磁石で貼り付けた。

問題用紙には、次のような文章問題が書かれていた。

「36人の子どもが、1きゃくの長イスに4人ずつすわると、長イスは何きゃくいるでしょう。」

子どもたちは現在、わり算の勉強に入ったばかり。

この問題は教科書にっている問題だが、まだ学習していない問題だった。

誰かがすぐに「わり算だ」と言った。

林田先生は、「ついそう思ってしまいます。だって、今、わり算の勉強をしていますからね」と静かに答えた。

他の子から、「かけ算だよ」という声が出た。

「たし算よ」「ちがう、ちがう、ひき算」など、特別授業はまるでクイズ大会のようになった。

問題を改造する子どもたち

不親切な問題

林田先生は、「よし、1年生のときに戻ってみよう」と言い、子どもたちの「えーっ」という驚きの声を楽しむように、ホワイトボードに「まほう」と書いた。

ある子が「あっ、思い出した」とすかさず声を出した。

林田先生は、「そう、言葉の問題のときは、どんなお話なのかわかりやすくするために魔法をかけるんだったね」と言った。

文章問題をくための何らかの方法があるらしい。

わたしも保護者も、どんな魔法なのか興味をもって林田先生の次の言葉を待った。

林田先生は、「この問題は、全然親切ではありません。だって、丸(句点くてんのこと)がたった1つしかありません」といい、問題用紙の一番最後にある句点に、赤いマーカーペンで印をつけた。

「この問題は、たった1つの文でできています。こんなややこしい文を、わかりやすくするためには、魔法が必要ですね。さあ、どのようにしますか。この問題をおうちの人に、お話で伝えることを想像してみてください」、林田先生は、子どもたちと保護者の顔を交互に見ながら、ゆっくりと尋ねた。

「います」を入れる

ある子が遠慮がちに手を挙げた。

林田先生が指名すると、その子は小さな声で、「問題を短く区切るといいと思います」と言った。

林田先生は、「うん、いい考えですね。さっそくやってみましょう」と言った。

発言をした子は、林田先生にほめられ、うれしそうににっこりと笑った。

林田先生は、問題用紙を指差ゆびさしながら、「子どもは何人いるのかな」と尋ねた。

子どもたちは、声をそろえて「36人」と答えた。

「じゃあ、どうする」と林田先生。

ある子が手を挙げた。

林田先生はその子を指名した。

子どもたちと先生の呼吸が合い、本物の授業のように思えてきた。

その子は、「『子どもが』のあとに、『います』を入れればいいと思います」と発表した。

「はい、その通りにしてみましょう」と林田先生が言い、マーカーペンで「います」を問題文に挿入した。

そして、そこまでの文をみんなで読んだ。

「36人の子どもがいます」という元気な声が響いた。

本当に魔法だ

「どうですか。少しわかりやすくなりましたか」と、林田先生は子どもたちに確かめた。

あちこちから「はーい」という声が聞こえた。

調子のいい子どもたちだ。

林田先生が言う魔法とは、「文を短く切り、問題の意味、設定などをわかりやすくすることなのかな」と思いながら、わたしは授業を見続けた。

文章問題は、子どもたちと林田先生の魔法によって、わずか5分で、次のように改造された。

「36人の子どもがいます。その子どもたちが、1きゃくの長イスに4人ずつ分かれてすわります。長イスは何きゃくいるでしょう。」

さっき、「ちがう、ちがう、ひき算」と言っていた子がすかさず、「なーんだ、それならわり算だ」と言った。

「これは本当に魔法だ」とわたしは驚いた。

言葉の力の大切さを知る

国語と算数のつながり

特別授業の帰り道、いつものファミリーレストランに寄った。

砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら、林田先生はわたしに言った。

「文章問題って、国語でいえば説明文なんです。まあ、極端に短い説明文といったところかな」

わたしは、妙に納得した。

なるほど、文章問題の設定(説明されていることや問われていること)が、頭の中でイメージできれば、問題の解決に大いに役立つ。

今まで全く別のものだと思っていた算数の文章問題と国語の説明文が、「言葉」を通してつながっていることに気づいた。

言葉の力、補う力

わたしは林田先生に言った。

「大切なのは、言葉なのですね」

林田先生は大きくうなずき、たし算なら「加える、合わせる」、ひき算なら「残りを知る、違いを比べる」など、四則計算をイメージできる言葉を問題文の中から見つけることが大切だと教えてくれた。

そして、もし、それらの言葉が示されていないときは、自分で言葉を補う力をつけていくことが必要だと付け加えた。

また、国語との関連でいうと、文章をわかりやすくするためには、国語で学習する指示語や接続語を上手に使えるようにすることだということもあわせて教えてくれた。

「キーワードは、お話で伝えるということです」。

「文章を読み解く力は、級友との学び合いの中で身に付けていくものです」。

林田先生のこれらの言葉には、実感がこもっていて、とても重みがあった。

先生が伝えたかったこと

「今日は、本当に、魔法をの当たりにしました」

というわたしの言葉に、林田先生は少し微笑んだ。

林田先生は、「コーヒーのお替りはいかがですか」という店員さんの誘いを断り、

「今日は、伝えるというわたしの仕事ができた気がします。さて、そろそろ帰りましょうか」

と言って、テーブルの上に置いていた自分のハンドタオルを、ベストの前ポケットに入れた。

大きなしま模様の入った林田先生のベストは、漫画(アニメ)に出てくる「鬼太郎きたろうくん」が着ている「ちゃんちゃんこ」にそっくりで、お茶目な先生によく似合っていた。

わたしは、バッグの中から自動車のキーを取り出した。

自分には、林田先生を自宅まで送り届けるという大役たいやくが残っている。

林田先生の自宅までここから約20分。

わたしは、「次はどんな話をしようか」と考えながら席を立った。

 

 

※この物語は、フィクションです。