「博士の愛した数式」との出会い ~ 本が導いてくれた美しい世界
小さい頃から数が好きだった。
大相撲やプロ野球などのスポーツは、力士や選手が繰り広げる勝負そのものにも熱中したが、その結果として数字で表される勝敗や記録にも興味を持った。
足し算、引き算で簡単に計算できる力士の星取表に始まり、計算の仕方を教えてもらったプロ野球各チームの勝率、選手個人の打率、防御率などが載っている新聞の一覧表をながめるのが好きだった。
また、オリンピックの影響を受けたせいか、陸上の世界最高記録を暗記するのも趣味のひとつだった。
「博士の愛した数式」の記憶
算数の専任になって
数と言えば、小説「博士の愛した数式」(著者:小川洋子さん、2003年)のことが記憶に残っている。
わたしがこの本を初めて読んだのは、発刊されてから随分年月が過ぎた2008年のことだ。
この年はわたしが、学級担任から、算数専任に移った年である。
物語の幸せを願う
この本は、「博士」と呼ばれている数学者と、語り手である「私」、博士から「ルート」と名付けられた「私の息子」の3人が織りなす日常を、数学や野球を交えながら描いた小説だ。
読み進めているうちに、3人をすごく応援したくなり、「この物語が幸せに終わってほしい」と願ったのを思い出す。
また、「数学の世界」(この本の言葉を借りれば、その入り口を少し覗いただけだが・・・)は、わたしの数への興味など、簡単に吹き飛ばしてしまうほど、広大で、奥行きが深く、慎重で、大胆で、無限の可能性を秘めていることを知り、そのことに大いに感動し、数学を敬愛の念で見つめ直したことも思い出した。
「友愛数」
「友愛数」という数の組み合わせがあることは、「友愛数」という言葉とともに、この本の中で初めて知った。
220の約数の中で、自分自身(220)を除いた約数は、1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110である。
これらの約数を全部足すと284になる。
(1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284)
一方、284の約数の中で、自分自身(284)を除いた約数は、1,2,4,71,142である。
これらの約数を全部足すと220になる。
(1+2+4+71+142=220)
つまり、自分自身を除いた220の約数を足し合わせると284になり、自分自身を除いた284の約数を足し合わせると220になる。
無限に存在する数の中で、220と284は、自分の体の中に、相手とつながる数を持っている「友愛数」なのである。
数字と「友愛」の絆
この物語に登場する「博士」は言う。
「220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。フェルマーだって、デカルトだって、1組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ」
「博士」にそう言われると、「割り切れる数(約数)」を「足し合わせた数(和)」がお互いの数になるという「友愛数」が、とても不思議で、それでいてロマンチックな数の組み合わせに思えた。
「完全数」
「私」が「28の約数を足すと、28になるんです」と言ったとき、「博士」は、28=1+2+4+7+14と書き、「完全数だ」と言った。
つまり、28の約数の中で、自分自身(28)を除いた約数は、1,2,4,7,14で、これらの約数を全部足すと28になる。
「完全数」は、この小説を読み終わった後、家にある本「数学入門」(下巻、著者:遠山啓さん、1960年第1刷、1981年第25刷発行)でも調べてみた。
そこには、ピタゴラス(ピュタゴラス、紀元前6世紀頃)のことが書いてあり、「ピタゴラスにとって、1つ1つの数は何か特別な意味をもっていた。・・・その中でも6は完全な数であった。なぜならその約数を加えたものに等しいからである。6の約数 ― 6自身は数えない ― は1,2,3であるが、それを加えると、ちょうど6になるのである」という説明があった。
「完全数」のもう1つの性質
「博士」も、「1番小さな完全数は6」と説明する。
その言葉を聞き、「(28が完全数であるという自分の発見が)別に珍しくないんですね」という「私」に対して「博士」は、「いいや、とんでもない。完全の意味を真に体現する、貴重な数字だよ。28の次は・・・。その次は・・・。数が大きくなればなるほど、完全数を見つけるのは難しくなる」と言った。
そして、完全数のもう1つの性質を説明する。
完全数は、「連続した自然数の和」で表すことができるのだ。
つまり、完全数6は1+2+3という連続した自然数の和で表され、完全数28も1+2+3+4+5+6+7という連続した自然数の和で表すことができる。
(6=1+2+3、完全数6は、1から3までの連続した自然数の足し算の合計で表せる)
(28=1+2+3+4+5+6+7、完全数28は、1から7までの連続した自然数の足し算の合計で表せる)
「博士」は、28の次に大きな完全数も、「連続した自然数の和」で表すことができると、その完全数を1+2+3+4+5・・・と連続した自然数の足し算をして説明する。
わたしは、見つけることさえ大変な完全数が、こんなシンプルな性質を持っているという、そのギャップに驚いた。
「虚数」のけなげさ
この物語に登場する3人は、「ルート記号の中に数字をはめ込むとどんな魔法がかかるか」試すのだが、その中で「虚数」の話も登場する。
「虚数」とは、マイナス1の平方根、つまり2乗すると-1になる数のことだ。
「2乗」とは「同じ数」を「2回掛ける」ことで、1×1は1だし、(-1)×(-1)も1になってしまい、2乗して-1になる数が見当たらない。
「そんな数は、ないんじゃないでしょうか」と言う「私」に、「博士」は、「いいや、ここにあるよ」と言い、自分の胸を指差してこう言う。
「とても遠慮深い数字だからね。目につく所には姿を現わさないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ」
思わず、「ハァー」とため息が出るほど、きれいで、けなげな表現だ。
「博士」にこう言わせる、作者の小川洋子さん、すごい人だなあ。
「虚数」のイメージが変わる
高校時代、方程式の解として、「虚数」は何度も登場し、その記号であるアルファベットのアイの小文字「i」を、ノートや答案用紙に数えきれないほど書いたと思う。
当時の先生も、こうやって「虚数」の説明をしてくれたのだろうが、覚えていない。
「虚数」の「虚」が、「中身がない、うつろ」という意味なので、わたしは、「虚数」をずっとネガティブなイメージでとらえていた。
しかし、この本を読んだ後、別の本で、アイの小文字「i」は、「イマジナリー・ナンバー」(imaginary number=英語で「想像上の数字」という意味)の頭文字からとったということを知り、なるほどと思った。
「博士」が自分の胸を指差し、「心の中にある」と言ったのにはそういう意味があった。
「実数」に対して「虚数」と名付けられた数は、「実数」と一緒になった「複素数」という形で、すべての数を表すことを可能にしたという。
そのことを知り、わたしの「虚数」のイメージは、とてもポジティブなものに変わった。
オイラーの公式
この本の題名になっている「博士の愛した数式」は、オイラーの公式(等式)である。
この数式を初めて見たわたしは、図書館へ行き、数学の入門書で数式の意味を調べ、気づいたことをノートに書いた。
今でもそのノートが残っているが、情けないことに、最初から読まないと意味がわからない記述がたくさんある。
ただ、印象に残っているのは、生まれも育ちも違う「指数関数」の世界と、「三角関数」の世界が、「複素数」(実数&虚数)の世界で結びついたということである。
複雑なものを簡潔で美しく
オイラーの公式は、下の式1のような数式で表される。
(式1)
上の式1の θ(シータ、角度を表す文字・記号) に π を代入すると、下の式2のように、左辺は「 e の i π 乗」となり、右辺は「-1」(※以下参照)となる。
(式2)
※ 式1の θ に π を代入すると、右辺は、cosπ+i sinπとなります。
i は、アイ、前述した「虚数単位」のこと。
π は、パイ、円周率のことです。
座標の原点を円の中心とした半径1の単位円を使った弧度法では、180°を π で表します。cosπは cos180°のこと、cos180°は-1なので、cosπ=-1。
sinπは sin180°のこと、sin180°は0なので、i sinπ=0。
つまり、右辺のcosπ+i sinπ=-1+0=-1となります。また、ここでは、自然対数の底である e(ネイピア数=2.72818・・・と続く超越数)の説明は省略させていただきます。
物語の中では、式2の右辺の-1を左辺へ移項して+1とし(その結果右辺は0となる)、左辺の π と i を入れ替えた「 e の π i 乗+1=0」という数式を「博士」が書く。
下の式3のような数式だ。
(式3)
複雑なものがたくさん詰め込まれているのに、それを感じさせないこの簡潔な数式。
わたしは、この数式の美しさに、再び「ハァー」とため息をついた。
本の作者の小川洋子さんは、この数式を、物語に登場する「私」の言葉として文学的に表現する。
この言葉がまたまた、思わずため息が出るようなすてきな言葉なのだが、ここでは、その言葉には触れず、本の中へ静かにしまっておくことにしよう。
本に感謝しながら
この本を読まなければ、この数式とは一生出会わなかったことだろう。
こんなに美しい世界に導いてくれたこの本に感謝したい。
わたしは、「読書=出会い」と思い、本は味わうものだと考えている。
世の中には知らないことの方が圧倒的に多い。
まだ出会ったことのない、わたしにとって感動的なものが、世の中にはたくさんあることだろう。
そんな出会いを求めて、これからも本を味わい続けたいと思う。
※ この小説に出てくる「博士」は、阪神タイガース時代の江夏豊さんの大ファン。当時の江夏さんの背番号は完全数28。江夏さんのことを書いた記事は、こちらをどうぞ。