小説・映画 /「鉄道員(ぽっぽや)」~ 雪が泣く、笛が泣く、そして・・・でも、泣かしたらいかん!

この冬一番の寒さ

今朝(2020年2月6日)は、この冬一番の寒さでした。

昼のニュースでは、北海道旭川市江丹別えたんべつ町で、午前7時に氷点下31.6度を観測したことが報道されていました。

宮崎市もかなり冷えましたが、この氷点下31.6度という世界は、わたしには到底とうてい想像ができません。

本の世界で

小説「鉄道員(ぽっぽや)」

「冬の北海道」でわたしが連想するのは、小説「鉄道員(ぽっぽや)」(著者:浅田あさだ次郎じろうさん、1997年)です。

この小説は、第117回直木なおき賞(1997年上期)を受賞した作品です。

「鉄道好き」の自分には、とても興味深い「本の題名」だったのですが、初めてこの小説を読んだのは受賞から約10年後のことでした。

こぼれ落ちてしまう幸せ

本を読むとき、特に物語を読むとき、わたしは、登場人物の幸せを願いながら本を読み進めるのですが、この本を読みながら感じたのは、「一体、いつ本当の幸せが来るのだろう?」という思いでした。

幌舞ほろまい駅の一人駅長を務める主人公の佐藤さとう乙松おとまつさんは、大切な家族を次々にくしていきます。

乙松さんは小さな幸せを手にするのですが、それらはすぐに手のひらからこぼれ落ちてしまうのです。

死んだ子供まで旗振って・・・

乙松さんは娘さんを亡くします。

冷たくなった娘さんをいて駅に帰ってきた妻は、

(あんた、死んだ子供まで旗振って迎えるんかい)

と乙松さんに言います。

「ポッポヤだから」

乙松さんは、そんな妻にこう言います。

(したって、俺はポッポヤだから、どうすることもできんしょ。俺がホームで旗振らねば、こんなもふぶいてるなか誰がキハを誘導するの。転轍機てんてつきまわさねばならんし、子供らも学校おえて、みんな帰ってくるべや)

あんたの子も・・・

妻は、言い返します。

(あんたの子も帰ってきたべさ。こんなんなって。・・・)

妻が、乙松さんに向かって声を荒らげたのは、後にも先にもその一度きりだったそうです。

亡くしたものの大きさ、やり場のない怒り、悲しみ、むなしさ・・・、そんな二人の感情が伝わってきて、とたんにわたしはさびしくなりました。

なして泣かんのね

乙松さんはやがて妻も亡くしてしまうのですが、乙松さんは夜遅く病院にやってきて、亡くなった妻の枕元でうなだれています。

そんな乙松さんに向かって、病院で(乙松さんの妻の)最期さいご看取みとった元同僚の妻は、乙松さんなして泣かんのね、と乙松さんをゆすり立てます。

乙松さんは、ぽつりとつぶやき返します。

(俺ァ、ポッポヤだから、身うちのことで泣くわけいかんしょ)

奇蹟(きせき)の始まり

その後、物語は、作者の浅田次郎さんがいてくれていた「奇蹟きせきのレール」の上を進み始めます。

17年前に亡くなったはずの娘さんが、乙松さんの前に現れるのです。

 

「乙松さんの悲しみも、もうこのくらいでいいのでは・・・」と思っていたわたし。

わたしは、その後の物語の展開に、救われた気持ちになりました。

「ポッポヤだもん」

自分が育っていく姿を乙松さんに見せた娘さんは言います。

「おとうさん、なんもいいことなかったしょ。あたしも何ひとつ親孝行もできずに死んじゃったしょ。だから」

 

乙松さんは言います。

「・・・おとうは、おめえが死んだときも、ホームの雪はねてただぞ。この机で、日報ヒノホ書いてただぞ。本日、異常なしって」

 

「そりゃおとうさん、ポッポヤだもん。仕方ないっしょ。そったらこと、あたしなあんとも思ってないよ」

乙松さんは娘さんのこの言葉をどんな気持ちで聞いていたのだろう、そう思うと、わたしは急に泣けてきました。

駅にも人生があって

駅が作られて・・・。

その駅を利用する人がいて・・・。

その駅で働く人がいて・・・。

そこにそれぞれの人生があって・・・。

ポッポヤをやめたら

乙松さんはその年、定年退職することになっていました。

乙松さんはこんなことも言っています。

春になってポッポヤをやめたら、もう泣いてもよかんべか・・・

その願いは・・・。

映画の世界

映画になった「鉄道員(ぽっぽや)」

この小説を原作とした映画「鉄道員(ぽっぽや)」(監督:降旗ふるはた康男やすおさん、1999年)をDVDで見ました。

主人公の佐藤乙松さんを高倉たかくらけんさんが演じました。

泣きました。

本当にすてきな映画でした。

想像できなかった世界

映画では、積もった雪や風の音、ストーブに乗せたなべから出る湯気ゆげなど、自分の想像力が及ばない世界を見せてもらいました。

また、冬の北海道の山間やまあいを、プォーンという笛(警笛・汽笛)を響かせながらキハ(気動車)が走る場面は、何度見てもきない場面でした。

健さんの涙

佐藤乙松役の高倉健さんが涙する場面では、自分も涙があふれました。

一度そらを見上げた後、ゆっくりと視線を下に落とし、現実を確かめるように涙する健さん。

後で知った話ですが、健さんが泣いたとき、その現場にいた映画スタッフも一緒に涙したことがあったそうです。

健さんを泣かしたらいかん!

わたしはくやしくなりました。

健さんを泣かしたらいかん!

もう、健さんを泣かすような悲しい出来事できごとを起こしたらいかん!

そう思うとよけいに次から次へと涙がこぼれ落ちるのでした。

ロケ地の様子

この映画の舞台となった幌舞駅は、実在するJR根室本線ねむろほんせん幾寅いくとら駅を利用して撮影が行われたそうですが、20年以上った今でも、そのときに使われたセットが残されているそうです。

駅の構内には資料館もあり、高倉健さんが実際に身に着けていた衣装なども展示してあるということです。

※ 2016年の台風被害によって、この駅付近のJR線は不通になっており、現在はバスでの代行運転が行われています。(2020年2月6日現在)

「元気かあ?」

生活音の一部

父が国鉄職員だったこともあり、子どもの頃からわたしは「鉄道好き」でした。

1970年代後半にようやく全線電化された日豊にっぽう本線(福岡県北九州市小倉こくら駅から、大分県、宮崎県を経由して鹿児島駅までの鉄道路線)は、電化されるまでの間、蒸気機関車や気動車(通称:ディーゼル)が客車や貨物車を引っ張っていました。

その日豊本線のすぐ近くに住んでいたわたしにとって、気動車の「笛」の音は生活音せいかつおんの一部でした。

「汽車」はまだ健在

小説・映画「鉄道員(ぽっぽや)」を読んで、見て、泣いたわたし。

でも、そんなわたしを喜ばせてくれるのは、同年代の人たちがいまだに「列車」のことを「汽車」と呼ぶこと。

今でもときおり聞こえるその「汽車」の「笛」の音。

プォーンというその音は、時空を少しずらしながら、「元気かあ?」とわたしに呼び掛けているように聞こえます。