「舟を編む」/ 映画、本、そして人 ~「まじめって何?」、人の「凄み」と「迫力」を感じて

「舟を編む」を見て

映画を見ようとした?

今年(2019年)の正月、テレビで、映画「舟をむ」(監督:石井裕也ゆうやさん、原作:三浦しをんさん、2013年)を久しぶりに見た。

いや、正確に言うと、見ようとした。

「舟を編む」は、DVDで1度見たことがある。

しかし、主演が松田龍平(まつだ・りゅうへい)さんだったことぐらいしか、映画の内容を覚えていなかったので、初めて見る映画のつもりで楽しみに見始めた。

肝心なときに正月の疲れが

ところが、正月の疲れが出たのか、松田さんが登場したあたりで眠ってしまった。

まさに、これからというとき、「君は右という意味を説明できるかね?」と主人公が尋ねられたとき、つまり、映画の前半の、そのまた前半の部分で眠ったわけだ。

これじゃ、見たことにならない。

自然と心を動かされ

悔しいので、レンタルショップに行き、「舟を編む」のDVDを借りた。

通算2回目のレンタルだ。

今度はしっかりと最後まで見た。

映画の中に自然と引き込まれ、気が付くと、ひとつひとつの場面に笑い、涙し、心を動かされていた。

すごく感動した。

本に人を感じる

「辞書は(長い年月をかけて)人が作っているもの」という、他人から見れば「当たり前じゃないか」ということに感動した。

辞書も本であり、本の後ろには必ず人がいると再認識した。

言葉を言葉で説明するというのは、それだけで大変な作業だ。

映画を見終わり、辞書作りにかかわるすべてのスタッフが、宝物のように思えた。

映画、本、そして人

教科書も人が書いている

学生時代、教科書の記述を比較研究したことがある。

同じテーマでも、教科書会社によって表現の仕方が違ったり、扱う分量が違ったりしていた。

他の教科書より多くのページを使い、詳しく説明している教科書を見ると、そのテーマに対する「筆者の思い」にれたような気がした。

そう、教科書も人が書いているのだ。

わたしにとって教科書研究の一番の成果は、わたしの教科書の見方が、「絶対的なものから相対的なものに変わった」ということだろう。

これは、「教科書に人の存在を感じ取るができたこと」が大きな要因かもしれない。

人の凄みと迫力

「舟を編む」を見て、あらためて人のすごみを感じた。
(「凄み」という言葉でしか表現できない自分がもどかしいが、背伸びをしても仕方がない)

目標にむかって地道に近づいていくときの、人の迫力を感じた。

また、現代では、他人から茶化ちゃかされる対象になりがちな「真面目まじめって何なのか」ということについても考えた。

映画との違いを楽しみながら

現在わたしは、「原作ではこうなのか」と思いつつ、本と映画の違いを楽しみながら、原作本(作:三浦しをんさん、2011年)を読んでいる。

原作本はDVDを見た後に買った。

ちなみに、この本を買うのも2回目である。

自分が愛おしい

以前、持っていた原作本は、読み終わった後、他の本と一緒に「本の買取店」にお世話になり、違う本に姿を変えていった。

今回、原作本を買ったのも同じ店だ。

同じところを何度も回っている自分が、何となくいとおしく思えてならない。