ボクの“うつ”体験 ⑤ ~ 仕事に復帰するまで
やっと病室から出てみて
病室から出る
入院後、眠っては食べ、食べては眠ってを繰り返していたわたし。
入院4日目の朝食後、看護師さんから「起きていられるなら、テーブルの所へ行きますか」と言われ、素直に病室を出て、中央フロアのテーブルの席に座った。
そこは、入院しているみなさんが食事、面会、歓談に利用している所だった。
朝食の片づけも終わり、ほとんどの人が病室に帰っていた。
頭の中がすっきり
テーブルの席に座り、わたしは、不思議と頭がすっきりとしていることに気づいた。
眠らないといけないから眠るという義務感ではなく、3日間、本当に眠いから眠った。
後で先生にも言われたが、特別な薬を服用したわけでもない。
体がこんなに疲れているとは思わなかった。
年度末まで休むという決断
職場のことが頭をよぎる
頭が働くようになると、職場に大変な迷惑をかけていることが頭に浮かんだ。
わたしの休みがいつまで続くかわからないことが、職場にとっては一番大変なことだと思った。
わたしは、仕事を休む期間をはっきり伝えるよう家族に頼んだ。
休む期間は3月末(年度末)までと決め、それを職場の上司に伝えてもらった。
年度末まで休む理由
年度途中に復帰することも考えたが、思い切って年度末まで休むことにした。
わたしのことだからきっと、年度途中に復帰すると、休んでいる間の仕事を「みんなの倍働いて取り戻そう」とするはずだ。
そして、再び病院のお世話になる、そういうことが、今までの体験上、容易に想像できた。
自分の病状を少なめに見積もって失敗する(退院後、再入院する)ことだけは避けたいと思った。
自分の力で体を休める
退院を決意
仕事の方は決断がついたが、入院については迷っていた。
しかし、入院して2週間が過ぎようとしていたある日、病室に様子を見に来た先生に、思い切って「退院したい」と要望した。
入院という環境の中で体を休めるのではなく、自分の力で体を休めることができなければ、今後も苦労が続くと思った。
もちろん、このように冷静に考えることができたのは、今回の入院のおかげである。
退院許可をもらう
先生から、
① 体にストレスをかけないために仕事のことは考えない。
② 入院時のようにとにかく体をゆっくり休める。
その2点について強く言われた。
わたしは、
① すでに仕事を休む手続きをすすめていること。
② 退院後は通院を続けながら自宅療養をすること。
を先生に告げた。
翌日、先生から退院の許可が出た。
自宅療養へ
結局、2007年12月初旬から2週間入院し、退院後は、2008年3月末まで自宅療養をした。
もちろん、その期間は仕事を休んだ。
2008年1月以降は病気休暇という取扱いだったので、先生に診断書を書いてもらった。
病気の診断名は、「うつ状態」だった。
やはり、人それぞれ
「眠れない」のが始まり
入院して2週目からは、中央テーブルで他の入院患者のみなさんと一緒に食事ができるようになった。
そして何人かの患者さんと話をした。
入院したきっかけは、それぞれ事情が違っていたが、みなさんが、異口同音に言われるのは、
・ 眠れない
・ 早く目が覚める
・ 眠った気がしない
ということからくる倦怠感だった。
眠れない理由
そうなった理由もそれぞれ違っていて、
・ 仕事の内容が変わった
・ 新しい事を始めたがうまくいかなかった
・ 考え事ばかりしている自分にいらいらする
・ 計画や目標通りにものごとが進まず、その原因がわからない
などであった。
薬に関しては、服用をはじめた時期も違えば、薬の効果も違っていた。
話をしてわかったのは、画期的に体調がよくなる方法などなく、人それぞれ、病気に対する対処法が違うということだった。
今後のことだけ考える
療養期間中に気持ちを整理
自宅で療養期間中は、外出もせず、家事をしたり、読書をしたり、音楽を聞いたりして家の中で過ごした。
仕事を休んでいる間、職場に迷惑をかけていることが気になった。
自分だけ取り残されているようで、気分が滅入ることもあった。
仕事への未練がないといえばうそになるが、仕事に復帰して病状が悪化し、再び入院する方が「より迷惑をかけることになる」と自分に言い聞かせ続けた。
通院したときに先生から、「これから長く勤めるのでしょう。そのための休みと思ってください」と言われ、それが励みになった。
直接お詫びはできないが
今回休んで迷惑をかけた人々へ、直接お詫びすることはできない。
しかし、「おかげで仕事に復帰することができました」と、お礼が言える日がくればいいと思うようになった。
みんなには申し訳ないが、今後のことだけを考えるようにした。
わたしは、3月末に仕事へ復帰した。
その後の今にいたる十数年間について、次回(最終回)書きたい。
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