レコード発見! T.レックス「ザ・スライダー」~「メタル・グウルー」/ マーク・ボランと洋楽への道

洋楽のレコード発見

今年(2019年)のお盆、実家で古い洋楽ようがくのレコードを見つけた。

洋楽のレコードは、進学によって実家を出たことをに、いとこへ貸したままになっていた。

 

その行方不明となっているものと思っていたが、T.レックス(T.REX)のアルバム「ザ・スライダー」(THE SLIDER、1972年)が出てきた。

LPレコード「ザ・スライダー」のジャケット

その紙製のジャケットの中には、LPレコードと、目が痛くなるほどの朱色しゅいろを背景色にした解説書が残っていた。

また、四方しほうを押しピンで止めた穴のあとがある「メタル・グウルー」(Metal Guru、1972年)のシングル盤ジャケットも入れられていた。

こちらは、レコードは残っていなかった。

LPレコードに入っていたブックの一部(「メタル・グウルー」の手書きの訳詞)

T.レックスが入ってくる

1972年の9月頃だったと思うが、レコード店へ歌謡曲かようきょくのレコードを買いに行った。

そのときに、繰り返し繰り返し、店内のスピーカーから聞こえていたのが、イギリスのロック・バンド、T.レックス「メタル・グウルー」だった。

曲を聞いたときにすぐに感じたのは、「なんだ? このはじけ飛びそうな歌は!」。

 

歌謡曲のレコードを選びながら、耳の中にこの曲が残る。

覚えやすくインパクトのあるエレキギターのイントロと「ウォー ウォー ウォー イェー」のさけび声が重なる。

曲の最初から最後まで、繰り返される「メタダドゥ」と聞こえる甘えるようなボーカルの声。

漫画の効果音のようなあやしい香りのする不思議なハーモニーとコーラス。

「お騒がせしました」とばかりに、やがてフェードアウトしていく曲。

このレコードください

歌謡曲のレコードを選ぶのをやめ、いつのまにかこの曲が聞こえているスピーカーの前へ行っていたわたし。

繰り返し繰り返し聞いていると、足でリズムをとっている自分に気づく。

それぐらいキャッチーな軽いリズムとメロディーだった。

 

そのときだった。

「このレコードください」。

声のぬしは、どう見ても同年代の学生。

「今、店内で流れている曲のレコードをください」という意味だ。

「へえー、洋楽のレコードを買うのかあ」と思うと、この少年が自分よりも大人おとなに見えた。

自分も大人に

その後、意識的に洋楽のラジオ番組を聞くようになった。

あの日、レコード店で流れていた曲がラジオから流れ、「何とかレックス」の「メタルグルー」と紹介されていた。

「メタダドゥ」と聞こえていた歌詞は、「メタルグル―」だった。(レコードジャケットでは「メタル・グウルー」)

翌日学校で、その曲のことを友だちにたずねると、「それはもう古い、今はレボリューション」と教えてくれた。

バンド名もT.レックスだと教えてもらい、ますますこのバンドの怪しい魅力に引き込まれてしまう。

T.レックスの曲だとわかれば、途中からであろうが、片っぱしからカセット・テープに録音し、とにかく聞く。

「自分は、洋楽を聞いている」。

当時のわたしは、そのことで「自分も大人になりつつある」と錯覚さっかくしていたに違いない。

洋楽デビュー

レコード店へ行き、洋楽のコーナーに行くが、あの日の少年のようにレコードを買う勇気が出ない。

それまで、「言葉の意味がわからない音楽に興味を持ったり、ましてやレコードを買う人の気持ちがわからない」と思っていた自分。

 

迷いに迷ったあげく、とうとう洋楽デビュー。

初めて買った洋楽のレコードは、年が明けた1973年にヒットしたT.レックスの「イージー・アクション」(SOLID GOLD EASY ACTION、1972年)だった。

ジャケットには、マイクに向かってシャウトするカーリーヘアーのマーク・ボラン(Marc Bolan、ボーカル・ギター)。

レコードを聞きながら、歌詞カードを読み、当時の洋楽のシングルレコードには必ず付いていた解説文を読む。

歌詞の意味はわからないが、スピード感のあるエレキギターのひっかきまわし?に心をがっちりつかまれる。

曲の中にストリングスも入っており、ライブのときはどのように演奏するのか「よけいな心配」までしてしまう。

泣きそうになった自分

一旦いったんのめり込んでしまうと、もう止まらない。

次にヒットした「20 センチュリーボーイ」(20th CENTURY BOY、1973年)も買う。

このレコードを貸していた友だち(ベンチャーズのコピーをしていたので、エレキギターもアンプもその他の機材も持っていた)が、「家にい」というので学校帰りに彼の家へ行く。

彼は「20 センチュリーボーイ」のレコードをかけながら、映画『20世紀少年』(監督:つつみ幸彦ゆきひこさん、原作:浦沢うらさわ直樹なおきさん、2008年~2009年)でも有名になったあのイントロのフレーズを聞かせてくれた。

「耳コピ」だったと思うが、本物そっくりで驚いた。

イントロの後のギターのリフ(繰り返し)もそっくりに弾いてくれ、マーク・ボランに会ったような気がして、純情だった?わたしは泣きそうになった。

シングルレコードがそろう

わたしは、続けざまに「メタル・グウルー」「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」(CHILDREN OF THE REVOLUTION、1972年)のレコードも買った。

数か月で、「メタル・グウルー」以降、日本で発売されたT.レックスのシングルレコードがすべてそろった。

シングルレコード「メタル・グウルー」のジャケット

解説文をすみからすみまで読み、また、当時の洋楽雑誌の特集も読み、すっかりT.レックスつうになったつもりの自分。

覚えている一節いっせつは、T.レックスは、「グラム・ロックのもう」と言われていたが、「グラム」は「グラマラス」(glamorous=魅力的)という意味からきているということ。

また、「デカダンス」について「思わず刑事も踊り出す」という説明がされていたのを覚えている。(解説者がシャレのつもりでデカダンスの意味を解説したのだと思うが、当時のわたしは、デカダンスとは、本当にデカがダンスを踊るという意味だと信じていた)

とうとうLPレコードも

シングルレコードが揃ったすぐ後だったと思うが、LPレコード(アルバム)がほしくなった。

シングルレコードを何枚も買うよりもお得だと思ったからだ。

でも、中に入っている曲がどんな曲かわからないので不安だった。

 

を決して、初めて買った洋楽のLPレコードが、この記事の最初に紹介したアルバム「ザ・スライダー」

A面の1曲目が「メタル・グウルー」で、ド派手はでに始まるアルバムだ。

しかし、他の曲は全体的には、シンプルでおとなしく、ブギメロがじわじわと伝わってくるイメージだった。

「ゲット・イット・オン」(GET IT ON)のように、曲の後半になるとどんどん気持ちが高まっていくような感じを受けた。

聞き終わった後、今まで聞いていた曲の記憶がフッと消えてしまうような感覚になるアルバムだった。

LPレコード「ザ・スライダー」の中の曲

洋楽の世界にはまる

洋楽の世界にどっぷりとかったわたしは、その他のアーティスト(ミュージシャン)の曲も聞くようになり、FM放送の洋楽番組からカセットテープにお気に入りの曲を録音するようになった。

レコードを片っ端から買っていると、すぐに小遣こづかいがなくなる。

T.レックスの曲もシングルレコードの「ザ・グルーバー」(THE GROOVER、1973年)と「トラック・オン」(TRUCK ON(TYKE)、1973年)まで買った記憶があるが、それ以降は買っていないと思う。

FM放送はノイズがほとんどなく、きれいな音質でカセットテープに録音ができた。

そして、そのテープの中から、すごく気に入った曲だけレコードを買うようにした。

 

洋楽の世界は、わたしにとって、テレビでも見ることができない遠いあこがれの世界だった。

広大で、無限で、神秘的で・・・、演奏を聞き、歌声を聞き、リズムを味わい、バラードに酔い、ロックに心揺さぶられ・・・、洋楽雑誌を借り、同じ趣味を持つ友だちと洋楽談義をし・・・。

今でも純な響きがする

わたしをそんな世界へ連れて行ってくれたのは、まちがいなくT.レックスであり、マーク・ボランであった。

周りの友だちがフォークソングやニューミュージックと呼ばれるものへ関心が移った後も、わたしは最後まで洋楽の世界にとどまっていた。

それは、後で聞き始めた「ビートルズ」(THE BEATLES)の「音楽に対する壮大そうだい冒険ぼうけん先見性せんけんせい」に気づかせてくれるきっかけにもなった。

 

1977年9月16日、マーク・ボランは交通事故で亡くなった。

29才だった。(※1947年9月30日が誕生日なので、30才になる直前だった)

そのニュースは、すぐにわたしの耳にも届いた。

 

マーク・ボランが、わたしを洋楽の世界に連れて行ってくれたのは事実であり、あんなに夢中になって洋楽を聞き、洋楽のレコードを買いまくったのもマーク・ボランの影響だった。

 

今、聞き返しても、T.レックスの曲は「じゅんひびき」がする。

それは、「洋楽を聞いているだけで、大人になったような気がした当時の自分」を、今でも思い出すからであろう。